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Kochi Prefecture #8

なぜ「高知」という地名になったのか?


#108


関が原の戦いの後、1601年に山内一豊が土佐国に入り、治めるようになりました。掛川城から浦戸城に移った山内一豊は、浦戸城では城下町を開くには狭いため、1601年、現在の高知城がある大高坂山に城を築くことにし、築城が始められました。大高坂山は浦戸湾にも面し、南側には鏡川、北側には江の口川が流れ、地の利がありましたが、周辺は湿原が広がるデルタ地帯で、治水工事には大変苦労したようです。そう言えば大河ドラマ「竜馬伝」にも治水のための土木工事のシーンがありました。


#110


1603年に、本丸と二の丸が完成し、一豊は9月26日(旧暦8月21日)に入城しました。この時、真如寺の僧・在川(ざいせん)により、「河中山城」(こうちやまじょう)と名付けられました。城下は水害を度々被ります。二代の忠義は「水」に関係の深い「河中」の名を忌み嫌い、竹林寺の僧によって「高智山城」と改名します。以降、省略されたのか、いつのまにか「高知城」と呼ばれるようになったようです。そして、町の名前も高知と呼ばれるようになったようです。


#107


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